SSブログ

「ラブライブ!」2nd season 13話&シリーズ振り返り [アニメ]

 シリーズを振り返ってみて、「ラブライブ!」のTVアニメシリーズは、例えるなら箱根駅伝の「往路」と「復路」のようなものだったという気がします。
 まだ見ぬ険しい山道を懸命に駆け上がった「往路」1期。駆け上がってきた坂を、新しいゴール(=スタート地点)目指して走り抜ける「復路」2期。そしてゴールした場所は次のスタート地点、新しいゴールでもある、といったところでしょうか。
 2期は様々な点で1期との対になるような構成やリフレイン、反転したような演出が見られました。また、ぎゅっと濃縮されていた1期に対し、2期はかなり丁寧にひとつひとつのエピソードを積み重ねていた印象があります。

#13「叶え!みんなの夢――」(13話感想前編後編
 13話で描かれたのは、過去・現在・未来。「僕ら」が「今のなかで」描いてきた「奇跡(軌跡)」を辿るお話。そして、「ラブライブ!」そのもの。
 彼女たちの物語はまだまだ続く。まだまだたくさんの未来が待っている。μ’sのひとつの終わりを描きつつ、μ’sと僕らのこれからを描いた回でした。

 そして、あの日、ラブライブ!というプロジェクトに感じた「何だこれ!」という得体の知れない感じ、パワー、無茶苦茶さ。
 ラブライブ!って、いっぱい感動したり涙を流したり、そしてハチャメチャで元気いっぱいでひたむきで、たくさん笑って、アニメならではの楽しさが詰まった、そんなアニメでした。想いは歌に乗せてきたし、歌は物語そのものだった。そして、ラブライブ!の物語はみんなでつくりあげ、みんなで前へ進み進めてきた。
 これが「ラブライブ!」。それがぎゅっと詰まったエピソードでしたね。

1期1話との対比
 2期13話は、1期1話と対になっています。冒頭のシーンをはじめとして、ラストも学校の外に駆けだしていってミュージカルシーンに突入したのに対し、学校の中へ駆けだしてミュージカルシーンに突入する構成。

カメラで撮影
 卒業式の様子はカメラで記録されている。ステージ上にビデオカメラを置くことで、撮影してますよというのをわざわざ判りやすくしてある。

愛してるばんざーい!
 まさに「そんなとき出会った歌」であり、あの日真姫ちゃんが独りで歌っていた歌を、音ノ木坂のみんなで歌う。後日発売された「KiRa-KiRa Sensation!」の歌詞にもこうあります。『言葉だけじゃ伝えきれないよ どうする?(こんなとき)歌うよ歌うしかない』と。それがμ’s、それが音ノ木坂。歌と物語がリンクしている。これぞ「ラブライブ!」。
 あと、音ノ木坂の生徒=ファン=私たちです。だから、生徒達は「愛してるばんざーい!」を知ってる。

受け継がれる「伝説」
 「伝説開幕」というのは有名なラブライブ!スタート時のキャッチコピー。新部長となった花陽はにこの私物だった「伝説のアイドル伝説」のDVD-BOXを手にしています。おそらくにこから譲り受けたのでしょう。「伝説」は次の世代に受け継がれていく、…みたいな。

賑やかな場所へ
 花陽に部長を託したにこは、「もっともっと賑やかな部にしといてよね、また遊びに来るから!」と言います。
 にこにとってもうここは逃げ込む場所ではない。現状を守る場所では無く、誰かが遊びに来たいと思うような賑やかな場所にしてほしいという願い。

アルパカ登場
 ラブライブ!におけるアルパカは、ある種の繁殖の象徴・暗喩っぽいところがある。1期の時もそうでしたが、アルパカはメンバーが新しく加わる、あるいはそれに類する様な回で決まって登場しています。そして2期13話でもアルパカ登場。しかも今回は赤ちゃんが出来ている(新たな誕生)という、まさに繁殖を象徴する格好で登場しました。
 卒業によるμ’s終了の回ではなく、新たなμ’sの“誕生”の回であることを象徴しているかのようです。
 参考:アルパカ(Wikipedia)

μ’sの文字
 屋上に水で描かれた「μ’s」の文字は、エンディングで毎回見てきたあの場面そのものでした。そしてエンディングのμ’sの文字、室田さんのツイートによると実は回を重ねる毎にごく僅かに消えていっていたらしいのです。実際に比較してみましたが、確かにごくごく僅かですが文字が滲んでいっている(薄くなるのではなく輪郭が滲んでいる)ように見えますね。最後にこういう場面を描くことは当然シリーズ構成として最初から織り込まれていたとは思いますが、それを映像的仕掛けとして巧みに盛り込んでくるあたりが、TVアニメ「ラブライブ!」らしい。


センチメンタルな絵里
 卒業式で号泣。「今日卒業式なのよぉー」。意外と絵里は感動屋さんというか、卒業式という特別な日、特別な式典の雰囲気に浸っていた感じですよね。

エンディング
 屋上での練習風景を描いた2期エンディングは11話で最後でした。そう、物語上の屋上での練習は次の12話Aパートで最後。なので12話、13話では「どんなときもずっと」のエンディングが無かった、という見方をしてみるのも面白いかもしれませんね。まぁ、話の展開・演出的に特殊エンディングが必然だったというのもあるとは思いますが。
 あ、ちなみに13話エンドクレジット曲の「Oh,Love&Peace!」は花陽センター曲というのもミソですよね。

ポスターに描かれているのは
 掲示板に貼ってある「School Idol」のポスターに描かれているイラストの子って…。

信号
 音ノ木坂の校門の信号。最後にμ’sのみんなが並んで立つ場面では青。赤ではなく青。花陽に謎のメールが届いた場面も青。3年生のカットの所でも青。青点滅もしなければ赤にもなっていない。校門を出ることに迷いもなければ、止められてもいない。

なぜ学校の中に駆けていくのか
 最後、謎のメールを受け取った花陽に「ここでは話せません、部室に」と言って引っ張られ、9人は再び校内に駆けだしていきます。なぜそのまま学校を飛び出さず、部室に向かったのでしょう?
 それはつまり、音ノ木坂の生徒=私たちの象徴でもあるからです。学校は大好きな場所(大好きなモノ)の象徴でありラブライブ!というプロジェクトの歩みの象徴。そして、部室はもう私の居場所ではなく、みんなが集まる賑やかな場所だからです。だから、「ここでは話せない、部室に」なんです。私たちだけではなくて、みんなに伝えたい。大好きな場所にいる大好きなみんな(=私たち)といっしょに、みんなと叶える物語に向かって駆けていこうということです。
 だから、「“みんな(=TVの前のみんなも)”つづけ!」なんです。
 引き返したとか閉じたとかとは真逆なんですよ。そのまま学校を出て行ってしまったら、ある意味逆にみんなとの決別のような構図になる(それこそ逆戻りです)。だから、学校に向かって駆け出した。「おいおい何か忘れてないかい?」とばかりに呼び止められた。学校のみんなもいっしょに連れて行くために。新しい夢に駆けだすために。そしてそこから、これまでの歩みを辿り、学校のみんなを引き連れて未来に向かっていく「Happy maker!」につながるわけです。
 …なんてね。
 要は…13話の感想や予想でも書きましたが、最後の「Happy maker!」に続くシーンは1期1話のリフレインでもあり、「ススメ→トゥモロウ」の完全バージョンなんですよ。あの日可能性感じて3人で歌った道。その道でみんなで歌うことで遂に完成した。

花のリボン
 気付いている方も多いと思いますが、「Happy maker!」の衣装、3年生だけ胸にリボンを付けているんですよね。卒業式的なアレ、ということでしょう。
 あとこの衣装は明らかにライブのアンコール的なイメージですよね。


シリーズを振り返って
 「ラブライブ!」は大会やトーナメントそのものを描く物語ではありません。途中で棄権した1期はもとより、大会優勝を目指した2期でさえもそれは変わっていません(なので大会描写そのものは重視されていない)。大会の名称が『ラブライブ!』ということになっているため勘違いしがちですが、「ラブライブ!」は一貫してμ’sの物語です。そして、μ’sが夢を叶える物語は、“μ’sの物語”は全26話で綺麗に完結しました。これからはμ’sと僕ら「みんな」が新しい夢に向けて駆けてゆく、みんなの夢を叶えにいく“物語”がはじまる。そんな予感を感じさせる2期13話でしたね。

 「ラブライブ!」の土台にあるμ’s結成の物語を初めて描いた1期に対して、2期で描かれたμ’sの物語とは即ち、私たちが目の当たりにし体験してきた「ラブライブ!」のプロジェクトの歩みそのものであり、“これから”。
 虚構と現実、2次元と3次元、バーチャルとリアルの境界が曖昧で渾然一体となった感覚が「ラブライブ!」の大きな魅力であり特徴だというのは常々感じてきたことですが、TVアニメ「ラブライブ!」の、特に2期は意図してなのかどうか、そういう特殊性を背景にし前提とした内容でもあったと思います。
 現実の世界でμ’sが、ラブライブ!というプロジェクトに携わった多くの人達が、そして“僕ら”が、紡いできて、紡いでいく物語そのものが、TVアニメ「ラブライブ!」2期のある意味“原作”でもあった。テレビアニメシリーズを通じてそれらを追体験する様な感覚が2期シリーズにはありました。
 と、考えるならば、そこにはこれからの未来も描かれている、ともいえます。

 1期でμ’sのはじまりから結成までが描かれ、そして今回、μ’sの終わりとその先がきちんと描かれたことで、μ’sの物語はその始まりから終わりまでが綺麗に完成されました。不確定な「これから」がスッキリと見えたことで、逆にμ’sの未来が開けたというか、こんな風に始まって将来こんな風に終わるμ’sの物語の「今」を、これから紡がれていく“物語”を、僕らは現実の世界で体験している。そんな感覚。(本戦のステージは来年のSSAライブで再現しそうですよね)
 現実のμ’sの展開も、永遠には続きません。いつかは終わるとき、ラストライブを迎えるときが来るはずです。ですが、テレビアニメ「ラブライブ!」を通して、その始まりから終わりまでをきちんと描き、尚且つ、それでも彼女たちの、私たちの夢は続くという未来と希望に満ちた結末にしたことで、いつか訪れるその日も清々しく迎えられるような気がしますね(そしてその時まで間違いなく「この9人がμ’s」であり続けるはずです。そう宣言してくれたのですから)。


絶妙な展開も健在
 毎週日曜日の23時に公式サイトが繋がらなくなるのはもはや風物詩でした(笑)。しかし、毎週きちんと放送と連動して新しい情報を公開していくその姿勢は大いに評価されるべきでしょう。新しいCMがオンエアされれば、即時動画が公開される。何気ないようで見事なプロモーションです。
 9話でスノハレを披露したそのタイミングでライブ映像版のスノハレを、しかもフルコーラスで公開するなど、中途半端な出し惜しみをしない点も素晴らしい。その程度で商品価値は落ちない、むしろ購買意欲に結びつくという確信と自信があるからこそでしょうね。
 また、11話オンエア後に秋葉原で行われたイベントでは、11話のホワイトボードを再現したメッセージボードを展示。寄せられたメッセージを劇場版告知の広告に使うという演出も見事でした(地方民なので当然参加もできなかったし生でも見られなかったのですが…)。

1期と2期の違い
 1期は廃校阻止やラブライブ!出場といった多重化した目的があって、絶妙に惑わされつつ紆余曲折しつつ根底にあるテーマを再発見したどり着くという物語だったのに対し、2期では最初に提示した到達点に対してきちんとたどり着くために必要なことをしっかり積み重ねていく物語、だったと思います。

1期と2期の共通点
 やりたいからやるを描いた物語であることは、シリーズを通しての共通点でした。2期シリーズは卒業というリミットを設けることで、限られた時間の中でより自覚的に、より精一杯、やりたいことをやろう、という物語になっていたと思います。

収束ではなく解放の物語
 冒頭に書いたように、1期は「往路」、2期は「復路」のようであり、また、2期シリーズは1期シリーズのスケールアップとも見て取れます。1期をなぞりつつ、より広がり開かれていく物語。1期で穂乃果とμ’s9人の物語だったのが、2期ではμ’s9人と音ノ木坂のみんなの物語になり、最終的に私たちとみんなの物語へとシフトしていく、拡がっていく物語だったと。
 μ’sの卒業と終わりというカタチで“収束”し閉じるのではなく、拡大し“解放”されることを描くのがシリーズの到達点としてあった。だから、1期1話と対であり現実のわたしたちをも巻き込んで物語に無限の広がりと可能性をもたらしたあの結末は、必要にして必然だったと思います。

 AAで書くとこんな感じ?
 誕生▂▃▅▆▅▃▂卒業…を描いたのではなく、私▂▃▅▆▇▉∞みんな

 なので、劇場版に繋がる(繋げる)かどうか関係なく、そもそも劇場版の予定があろうが無かろうが、最初からこういう結末の構想であり、あの終わり方だったと思いますね。

 なんて言ったら良いのかな、感想でもちょっと引き合いに出したけど、「バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3」ですよ。タイムマシンなんか壊せって言われて壊したのに、言った当の本人がまたタイムマシン作って未来からやって来ちゃうっていうアレ。
 卒業式を終えて校門出て帰宅してお終い…な「ラブライブ!」13話なんて、タイムマシン壊してそこで終わっちゃう「バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3」みたいなモンでしょ(笑)


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アニメ

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0


記載されている会社名・製品名・システム名などは、各社の商標または登録商標です。

引用の範囲を超えた無断転載・盗用等は固くお断りいたします。
Reproducing all or any part of the contents is prohibited.
(C)2010 yamakazu0215 All Rights Reserved.