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「ラブライブ!」2nd season 10~12話振り返り [アニメ]

 10話~12話は、起承転結で言うところの「転」。1期シリーズも含めた全26話としてみるならば「結」といったところでしょうか。
 2期シリーズになって、学校のみんなや学校の外側へと拡がっていった世界は、ここにきて再び私たちに収束し、かけがえのない秘密の時間を経て、「私たち」であり「みんな」でもある結末へと向かっていこうとしているようです。

■「9」「10」「11」
 9人のμ’s。10人目という概念。エントリーナンバー11番。


#10「μ’s」10話感想
■位置関係
 神田明神の男坂でA-RISEの3人とμ’sの6人が邂逅するシーンは、互いの位置関係の変化を絶妙に駆使したうえでμ’sの予選突破の判明へと繋げていくという、実に見事な場面でした。
 まず最初。A-RISEの3人は階段の上、画面の左上から、右下を見下ろす格好で登場します。そこへ穂乃果が階段を“駆け上がって”、ツバサの立つ位置の“一段下”まで来て立ち止まります。海未とことりも続き、穂乃果の少し後ろへ。1年生トリオがさらにその下に居ます。
 続くカットは左上に居るA-RISEを、右下から見上げるμ’sという構図。そして正面から単純な上下の並びを映し、見上げ見下ろすカットを経て、A-RISEの3人が階段を降りていきます。階段を降りたことで、μ’sが上でA-RISEが下という位置関係に逆転します。
 ここまで、まだどちらが勝ったかは明らかにされていません。
 そしてツバサの斜め後ろからのアップ。画面右側から、左側に視線を送るように振り向いて、「ねぇ、優勝しなさいよ、ラブライブ!」。ここで初めてμ’sが勝ち、予選を突破したことが明らかになります。
 μ’sの表情が映され、次に画面右側から左上に視線を送るA-RISE、穂乃果のアップ。そして全員を捉えた引きの画。画面右側に大きくA-RISE、左側に小さくμ’s、A-RISE側から見た仰角気味の構図。そして、A-RISEの視線のラインが見上げているようにも、ほんの僅かに左下がりの様にも見える絶妙の位置関係です。
 で、俗に言う構図や映像の動きの原則というか、視覚印象から受ける心理的感覚というものがありまして…、と説明し出すと長くなるので簡単に。
 まず、上下の位置関係では上にあるものが優位で、下にあるものが弱い立場と感じるでしょう。そして、画面の左右では、右にあるものを優位と感じる。アオリのアングルで大きく見えるものは強く感じる。見上げる視線と見下ろす視線による印象の違い。例えばこういったことを踏まえて一連のシーンを思い出してみましょう。ね、面白いでしょ?
 もちろん、そんな知識が無くても、上に居る方が立場が上っぽくて、それが入れ替わって、でも力強さを感じさせるアングルで…っていうのはなんとなく感じ取れると思うんですよ。視覚的、心理的な印象として無意識にそう感じるモノだから。
 そしてそういった映像から受けるどっちも強いような弱いような強いような…という印象と、どちらも晴れやかな表情であること。そして最後まで明言されない勝敗の行方。負けたのにそれでもやっぱり貫禄を感じさせるA-RISE。この場面はホント面白い。
 ちなみに、3年生組は既に階段の上に居るんですよね。

■ストレッチをしながらのルール説明
 まあ要するに大会のルールに大した意味は無いし、そのへんの様子も別に描かないから真面目に聞く必要ないよ、ということです。

■ツバサもA-RISEもμ’sのファンになった
 ツバサが穂乃果にμ’sの原動力について問う場面。なぜ私たち(A-RISE)は負けたのか、そこでA-RISEが負けた理由や劣っていた部分を探すのでは無く、なぜμ’sはそんなにも惹きつけるものがあるのか、μ’sが持っているモノは何かを問う。
 要するにツバサもA-RISEもμ’sのファンになってるということです。私たちをも魅了するそれを知りたい。
 アライザーなんて言われたりするように、ライバルを具体的に描けばキャラが立って人気も出るしファンが付いたりもする。こういう問い方をすることでA-RISEの風格を損なうことも無いし、A-RISEすらμ’sのファンになっていることで、やっぱりμ’sのファンになれる。…………伝われ!w

■絵馬の場面の劇伴タイミング
 普通だったら、穂乃果がμ’sを応援する絵馬を見つけてハッとなった辺りからそれっぽい音楽が流れるもの。けれど、絵馬に視線をやったところから音楽が流れている。このシーンの劇伴は、穂乃果達の心情よりも、我々視聴者の心情に沿うカタチになっている。
 そうそう、この場面の絵馬、キャスト陣が書いたものが混じってるそうですよ。

■みんなで叶える物語
 冒頭からして神田明神で初詣で願掛けです。この回で出すべきこたえは冒頭から既に示唆されていたというわけです。

#11「私たちが決めたこと」11話感想
■サブタイトル
だから―、私達が決めたこと。
 サブタイトルの「私たちが決めたこと」。コレ、元ネタはラブライブ!という誌上企画がG's magazineで始まった2010年8月号の見開きイラストに掲載されていた言葉「だから―、私達が決めたこと」ですね。その後に続くのはいわゆるラブライブ!のプロローグであり、「私達のはじまり」を宣言した文章。そんな言葉をサブタイトルに冠した回で描かれるのが、「私達の終わりの時」を宣言するというのがなんともニクイ構成。
 11話は、劇中でいくつかの「私たち」が「決めたこと」が描かれていくわけですが、その裏にもう一つ、このはじまりの「私達が決めたこと」も秘められていたのかなぁと思うと、なんというか未来を感じさせるものもありますね。

■決意
 μ’sのおしまい宣言をする場面の劇伴、そう、もはやお馴染みですね。「花陽の決意」です。夕陽の場面で決意でこの音楽って時点でもうパブロフの犬状態でしょw

■表情
 証明写真を撮ってから駅のホームに向かうまで、ずっと表情が見えないようなアングルになっています。楽しそうにお喋りしながらホームに向かっているのだけれど、顔は見えない。あからさまに見せていない。泣き笑いな感じがそれはもうありありと想像できる。そして、ホームに辿り着いて、映し出された花陽の目には大粒の涙。ブワッ…;;

■一番星
 黄昏に輝く一番星!

■ホワイトボードと証明写真
 ホワイトボードにメッセージ。2期2話のラストシーンの寄せ書きを彷彿とさせます。そして飾られている証明写真は、駅で9人が笑い合って話していた様子そのものが写っています。ああ、ホントだwと思わずクスッとなるいい演出。そしてどの写真も一応9人写ってはいるけれど綺麗には収まっていなくて、どことなく、まだまだ不完全、まだまだ未来があるよとも感じさるようでもあります。

 11話で、μ’sというのは「看板」ではない、この9人のメンバーそのものである、ということが物語として明示され、そしてもう一つ、“μ’sが終わるときとは何か”、ということが明確にされました。
 音ノ木坂のみんなや私達ファンは“例え”としての10人目ではあるけれど(ちょうどワールドカップ中なのでサッカーに例えれば、いわゆる12人目の選手というヤツですね)、やはりあくまでも“μ’sそのものはこの9人”です。
 “みんな”ということを描いてきた上で“私たち”に帰結する。みんながいて、私達が居る。私達があり、みんなが居る。

 きちんと「μ’sというのはこの9人で、この9人ではなくなる時はμ’sもお終いの時」と誓う。そのことで逆に、いろんな意味で未来が開けたという気もします。

#12「ラストライブ」12話感想
■信号機の演出
 音ノ木坂の校門前の信号は本当に芸達者ですw
 そしてわざわざ意味ありげに信号のアップを挟む実に判りやすい見せ方。進みたいけど進めない、青だけど赤になって、青になったけど進めなくて…。
 「あ…」と気付いてしまったことで青点滅。「ダメよ!」で赤。「じゃ行くわよ」で青。…なんだけど進めない。

■願いは一つ
 思っていることは皆同じ。願いは一つ。
 ラストライブのシーンに至るまでを貫いている想い。

■夜の学校
 夜の学校で、屋上に上って夜景を眺める場面の劇伴は、6thシングルのアニメパートで使われたものと同じ曲(ちなみに着ているパジャマも6thシングルで着ていたパジャマと同じ)。その場面で描かれていることと重ね合わせてみるのも一興かと(ちなみに、ロリ真姫ちゃんが「(花火)綺麗でしょ」「お姉ちゃん達のことずっと前から知ってるよ。だって私、ずっと…」って言ってます)。たまたまなのか、偶然なのか、何かの意図があるのかどうかはさておき、なんかグッときてイイなと勝手に感動してますw

■やってて良かった!
 夜の町に向かって「私、スクールアイドルやってて良かったー!」と叫ぶ穂乃果。同じように1期3話ファーストライブ前夜、「頑張ってきて良かったって、そう思いたいのー!」と叫んでいたあの場面と対になっている。

■LoveLive!
 開演前のステージのスクリーンに映し出されていた「LoveLive!」の文字は、1stシングル「僕らのLIVE 君とのLIFE」で使われた冒頭ロゴマークの映像。μ’s First LoveLive!でも開演時に使われたものです。
 この、アルファベットの「LL」から「LoveLive!」→「ラブライブ!」と変化していくタイトルロゴはナンバリングシングルPVではお馴染みのモノですが、TVアニメでは新規のもの(アルファベットがぴょんぴょん跳ねてロゴになるというアレ)に変わっていました。それはこういった使い方を想定していたからなのかもしれませんね。

■瞳の輝き
 以前にも書きましたが、ラブライブ!は瞳の輝きがとても印象的です。シルエットの中で顔を上げていくひとりひとりの瞳は、とても輝いて見えて、とても喜びに満ちた表情に見える。

■野太い歓声は無い
 ラブライブ!の世界は男が居ない世界ではありません。穂乃果の父親は居るし、虎太郎は男の子だし、幼い凛ちゃんに失礼なこと言いやがった男子達も居るし、ラブライブ!の観客にも男性はいる。でも、野郎の歓声なんてそんなモン入れたところでキモいだけで何のプラスにもならないし、そもそも入れる必然性が無い。あの美しいラストライブに野太い歓声なんて雑音以外の何物でも無いでしょw
 そもそもキャストに男性が居ないというのは関係ないと思うんだよね。野郎の歓声が必要ならモブ役で人集めて撮るなりライブラリ漁るなりして入れるわけで(イベントで客席の声撮りますとかやりようもあるよね)。だから、“撮れない”んじゃなくて、撮らない。男の声を入れない。原則として男は喋らせない(男児は例外)っていう意図があるんだと思う。
 余談だけど、男性キャラに男性キャストで声を入れていない(女性が演じている)というのは、「シムーン」に通じるモノがあるなぁとか思ったり(あれはまぁ設定的な必然性があるワケだけど)。

■ラブライブ!のアニメで描かれる「ファン」
 ラブライブ!という作品の世界における「ファン」って、半分はアニメの世界の中に居て、もう半分はモニタのこちら側に居るんですよ。でもって、その区別が渾然一体となって描かれている。2.5次元アニメ。2.5次元世界。
 だから例えば、ライブシーンで客席や観客がクローズアップして描かれることは滅多に無い(1期3話や13話は例外的に講堂に集まってくれたみんなに歌っているという側面が強い)。ライブを見ている観客であり、クローズアップになるはずの観客の半分は、モニタのこちら側に居るのだから。
 そして、アニメの中で描かれるファンの思いや気持ちというのは、時に見ている私たちとイコールになっているものとして扱われる。

■アンコール
 視聴者である私たちはこれがμ’sのラストステージであると知っている。それはイコール、アニメの中の観客もこれがμ’sのラストステージだと知っているということでもあります(ヘンな文章だけどそうとしか…。伝われw)。そのうえでのアンコール。
 だからこのアンコールは、「もう一曲やって」「もう一曲聴きたい」という”欲求”ではなく、みんなの「もう一度μ’sをステージに立たせてあげたい!」「もう一度歌わせてあげたい!」という“願い”であり、μ’sの「もう一度だけ歌いたい!」という願いなんですよ(観客から自然と沸き起こったアンコールで「僕らは今のなかで」を歌うというのも、どこか3rdライブの出来事を彷彿とさせます)。
 叶え私たちの夢!なんですよ!それが叶うんですよ!!
 だから素晴らしいんですよ!!…わかる?w
 アンコールの声と共にステージ裏に光が射してくるのもホント感動的。

■はじまりの衣装
 ラブライブ!μ’s初のライブコンサート「μ’s First LoveLive!」で、ライブのキービジュアルを元に作られたステージ衣装。それを元にデザインされたテレビアニメ1期オープニング「僕らは今のなかで」の衣装。そのはじまりのステージ衣装を、ラストステージのアンコールで着る。

■テロップすら演出の一部
 「僕らは今のなかで」のテロップのタイミングがホント絶妙。
 おそらくBlu-rayには「ノンテロップ版12話」が収録されると思うんですけど、でも、今回に限ってはテロップ有りがある意味完成形というか。

■なんとかしといてよかったね!(笑)
 穂乃果と花陽ちゃん、7話でなんとかしといてよかったね!w
 危うく「僕今」の衣装が(μ’sメンバーの間ではヒミツの呼び名があるらしい。にこりんぱな#50)着られないところだったよ。危ない危ない。
 あの回がまさかこんな布石になっていたなんて(笑)

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